源頼朝と里見氏伝

館山市立博物館所蔵

日本の歴史上の偉人として誰もが知っている、鎌倉時代のヒーロー・源頼朝。
そして、曲亭馬琴著『南総里見八犬伝』のモデルとなった戦国大名・里見氏。
南房総の歴史や街の成り立ちにも重要な役割を果たした2人の人物。
「南房総」は奇しくも彼らにとっての「人生再起」の一大転換点となっていたのです。
伝承が残る観光スポットと併せてご紹介させていただきます。

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日本の歴史の転換点
頼朝の再起は南房総から
はじまりました

源頼朝は、平家打倒のため伊豆で旗あげをしましたが、石橋山の合戦で敗れて安房の国にのがれてきました。安房の国にたどり着いた頼朝は安房の豪族安西景益の館を訪れ、そして丸信俊の案内で丸山・白浜をまわり、神社や寺に源氏の再興を祈願しました。さらに景益の助言により、上総広常、千葉常胤といった房総の有力豪族を味方にするなどして兵を集め、勢力を盛り返しました。その後、鎌倉に幕府を開き、将軍となった頼朝は、先におまいりした神社や寺に田を与え、税を免除し、家来に建物の修理をさせたりするなどして恩義に報いたそうです。頼朝が与えたという地名や頼朝が立ち寄った伝承も、南房総のあちこちに残っています。

安房に逃げのびた頼朝が一夜を明かしたと伝えられている「下立松原神社」(白浜町)
真鶴から小舟で脱出した頼朝が房総に上陸したとされる場所は、「千葉県指定史跡」に指定され、上陸碑が建てられています。(鋸南町)
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安房国を束ねたのは、
「南総里見八犬伝」のモデルに
なった戦国大名・里見義実

1333年、頼朝が開いた鎌倉幕府がたおれて、1338年、足利尊氏が京都に幕府を開きました。ところがそのうちに武士が争いを始め、戦国時代が始まりました。房総里見氏の初代・義実は、1441年、「結城の合戦」に敗れ、白浜の野島崎の島崎というところに数人の家来とともに夜ひそかに上陸したといわれます。土地の人たちは、敗れたりとはいえ由緒ある武将として、義実を厚くもてなしました。やがて義実は、平郡の安西氏に用いられ、ついには、安西氏にかわって安房を支配するようになりました。里見氏はその後、十代、百六十数年に渡り安房を治めました。

義実によって文安元年(1444年)に創建されたと伝えられる「杖珠院」。里見氏の菩提寺で、義実の木像や墓(供養塔)もある。

館山市立博物館所蔵

南房総に残る里見氏城跡の一つ「岡本城跡」。16世紀後半、里見義頼が当主を務めていた時に、本城として位置づけた城郭です。

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日本で最初のSF小説
「南総里見八犬伝」
歴史浪漫の旅へ

戦国時代に安房の地で活躍した房総里見氏の歴史を題材にして書き上げられた『南総里見八犬伝』。江戸時代の文豪曲亭馬琴が28年もの年月をかけて著した長編伝奇小説で、八徳の玉を持つ八犬士たちが集まり、力を合わせて悪を倒す勧善懲悪ストーリーは、某国民的人気漫画にも影響を与えたと言われています。あくまでもフィクションの世界ではありますが、南房総には八犬伝浪漫に想いを馳せることが出来るスポットも点在しています。

八房は犬掛の百姓の家に生まれ、富山に住む狸の乳で育てられました。「八房公園」には八房と狸の像があります。(南房総市犬掛)
富山にある、伏姫と犬の八房が籠もったとされる洞窟。命を絶った伏姫がここに眠ると言われ、中には「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」の8つの球が置かれています。登り口には八房を埋めたという犬塚の石碑があります。