南房総について

世は平成の大合併時代・2006年(平成18年)3月20日に 安房郡富山町、富浦町、三芳村、白浜町、 千倉町、丸山町、和田町の6町1村が合併し、 私たちの街「南房総市」が発足しました。 文字通り房総半島の最南端に位置しており、 南東部は太平洋に、北西部は東京湾に面しています。 沖合を流れる黒潮の影響で、真冬でも菜の花が咲く 温暖な気候で、白浜、千倉の一部は無霜地帯になっています。 内陸部は、千葉県で一番高い愛宕山をはじめ、富山、伊予ヶ岳、 御殿山などがあり、起伏に富んだ丘陵を形成しています。 内房側を富山・富浦地区、外房側を白浜・千倉・丸山・和田地区、 内陸の地区を三芳地区と呼んでいます。 21世紀の時代になった今でも、豊かな自然環境はそのまま残り、 海や山に繰り出してのネイチャープログラムや 地の魚をはじめとする産地ならではの美味しいグルメ体験など 南房総が持つ魅力的な旅コンテンツの数々が改めて注目を集めています。

About History of Minamiboso

日本史と密接に関わってきた、『安房国』

南房総市と、隣接する館山市、鴨川市、鋸南町の3市1町がかつての安房国。
718年(養老2年)に、上総国から分かれて安房国が成立しました。
国府は南房総市府中(旧三芳村)あたりにあり、ここが安房の中心地で、
条里制の遺構も残っています。荘園も多く、統治者の交代が繰り返されていました。
戦国時代、里見氏が安房を統一し、さらに上総、下総の一部も支配するなど隆盛をきわめていました。
南房総市の岡本城、滝田城は里見氏ゆかりの城跡です。
戦国末期に里見義康が館山城を築城し、安房国統一の拠点としていました。
江戸時代初期、1614年(慶長19年)に里見氏は江戸幕府により改易され、
以降この地域は旗本領、天領、小大名の領地として分割統治されました。
明治初頭の郡制施行により安房郡、平郡、朝夷郡、長狭郡の4郡に分かれていましたが、
1897年(明治30年)に4郡が合併となって「安房郡」が発足し、
かつての安房国と同じ区域となり、「房州」が復活しました。